接骨院1日目

めちゃんこ眠い。雨だし。

無職の時の雨は「外に出なくていいんだよ^^」っていう天照様からの便りなのに。。。

 

午後いちで接骨院に一年間前に撮ったMRIのCDを持って向かう

 

「(誰もいない)・・・え・・・はずれか?」

と思ったのが第一印象。

 

ひとまず中に入り、紹介された旨と問診票を書く。そして口頭で説明。

 

開口一番で言われたのが

「玄関からいまのいままでの姿勢を見させてもらったが姿勢が悪い!というのがまず第一ね!!!」 と言われた。    見られていたらしい 。  コイツ、、、できる(語尾の!は先生のしゃべりの勢いを表しています。どうして整形外科系の先生は少しクセが強いんだろうか?)

 

まだ強気の説明は続く。

「今まで運動してたから、代謝が落ちて、太ったから、頭が覚えた。

A病院のA先生もB病院のB先生もよく知ってる。こんな説明ここが初めてだろう?」

と。知ってます。いえ初めてではないです。というわいの答える間もなくまだ説明は続き

「肩甲骨はがし、内腹斜筋、背骨のあるべき形と今」を話される。

これについてはしらないこともあり、めっちゃ勉強になった。さすが整体のプロ

 

施術に入り、椅子に座って、腰を温めてもらう作業に入った。

「(あ、この椅子駄目だ、座ってられない)」と思い、きついですと相談したら

「だろうね!!そう思った!!」と返事された。

 

クソが!!

 

腰と背中にクッションをいれてもらうと座れるようになった。

それが骨盤の位置と背骨の形のあるべき姿に近い姿勢ね!!と言われた。

MRIの画像を見てもヘルニアに関しては心配はなく、姿勢の悪さ、筋肉の硬さで神経症状が出てるらしい。ここまではもう既知でやっぱりかぁの感想しかない。

 

次に腰付近のマッサージと腰と足三里あたりに今までのペインクリニックとか整形外科では流してもらったことのない大き目の電流を喰らう。足三里まで痛くなってたのは今回の悪化が初めてで家で、適当に本見て伸ばしたりしてたんだけどそんなん意味ないくらい直接刺激してもらったほうが効いている。というか・・・効きすぎてそのあとうまく立ってられなかった。足に力が入らない。

 

 

その後肩甲骨はがし、内腹斜筋の鍛え方をおそわり帰宅。そして・・・

 

激痛!!!発汗!!!!下痢!!!

 

調べたらこれは好転反応というらしく状況がよくなる過程で起こるらしい・・・

一日続いた。

階段も登るとき足あがりにくいし下りはふんばれないで足滑るかともった。

接骨院0日目

私が働かないことに業を煮やした家族から話し合いの場が

 

 

 

カネは出すから違う病院にいけという命令がでた。

 

1年目の激痛

10年間の慢性痛

3年間の鈍痛

の間にいくつかの病院に行ったがリハビリの保存療法も薬の対処療法も手術じゃよくならないことも言われてる経験していたので行っても完治はしないけどいきますよ

 

と返事をした

 

家族のうち2人に死にたい(金がなくなったら死のうかなと考えていた)

と漏らしていたので家族からしたら死なせないための策なのだろう

 

正直お金を出してくれてもこれ完治はしませんよと言ったら案の定その弱気な気持が駄目と叱咤されたが、お前ら病院の何を知っとんねんクソがいろいろ考えたうえで死にたいって家族にいってんねん家族にいったらいやだとおもわれるのわかっててそれでも死にたいから死にたいって言葉に出したのにこれ以上叱咤すんなやと思ったが(早口

 

お金を出された以上仕方ない

 

お金と健康がこの世の中で最も大事だし二つとも担保をとられたようなものだし

 

そして話し合いの中で紹介をしてくれるという。

 

わい←家族←保険やの友達←接骨員

 

間に一人挟んだせいで変な責任感が出て接骨院に行かざるを得なくなった

 

明日とりあえずいってみて様子みてくるといったらとりあえずとかいうんじゃねえポジティブに治すって言えとまた怒られた

 

 

 

現状報告③

本日はお日柄もよくひたすらベッドの上にいた。前までなら親が干渉しに来るんだけど今はもうほんとにしんどいからほっといてが伝わって干渉してこない。精神衛生上すごくいい。

 

うとうとしてうとうとして

 

おとといぐらいにPCの高さも変えて勉強するところも立ってできるようにしたらわずかだが痛みは少なくなった気がする。まだいたすぎるが

 

 

うとうとしておきるときはいつも体が痛い。本日はご丁寧に頭痛もついてきている。

 

夜。二階のまどから足を出して夜を見てみる。ここから飛んでも死ねないからとばないけどじゃあ高さのある場所からなら飛び込めるかなぁなどと思慮深く死について考えてみる。遺書もかあいてないし確実に死ねるかわからんしなぁと逃げの答えを導き出す。

 

なんとも無様なシナプスだ。

 

 

身体の事

はじめに椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛になったのが2008年のことなのでよくよく記事にしてみるともう13年も前の事になる。

 

1年留年してた私に猶予などなく半年間以上卒研のために学校に通ったり止まったりした。

2件医者にいっても「これは放置すればなおりますよ」

とのことなので無理して卒業した。地元にもどって事態を目の当たりにした母が病院につれてくと即入院。

ひと月ブロック注射を打ち続けて退院。ここはリハビリに重きを置いた病院なのでリハビリ通院もする。

そしてGW.動けなくなる。病院やってない。匍匐前進の日々。

そこからまたひと月リピート。

 

その後はニート→派遣→社員→派遣→社員と入院することはなく痛みと共存してきた。

 

そして今無職になって3年でIKKOに社会復帰できる状態まで戻れない(どんだけ~)

 

身体の痛みは心をも蝕んでいて希死念慮な毎日。精神科にいってもビブレッソなどだされて寝すぎてヘルニアが悪くなる始末。さらには親にいわれていったはずの精神科も、

おれはいけといってない。

薬飲まない方法ないんか。

ひきこもり同然じゃねぇか。

 

と言われもとから心完全に折れて日課だった散歩もやめて体重増加。そしてまた悪くなるの悪循環。

 

唯一救いなのがリリカロキソニンそしてマイスリー 

マイスリーをのめば痛みは和らぐのでこれなら生きててもいいかなっておもう。

けど副作用の健忘で社会復帰には使えない。座れる状態になれるのに勉強には使えない。

 

詰み ってやつ

 

残りはギャンブルでお金を作ること しかない。一日目でさんざんだった。

 

ふと本気からさらに一歩ふみこんで死ぬことを妄想したけど泣いた。申し訳ないし、なにしろこわい。ファッション死にたいしてたわけじゃないけどまだまだ甘いんだなって思った。

 

日本一周ライダーさんまどんな気持ちだったんだろう・・・

私は健康なら生きようとおもえていたのかな・・・

現状報告②

その3っつの中で一番最後はだめで一番最初は相手方のおkがでにくいとなると

一人で始められるギャンブルということになります。

 

これを始めようかなと

 

今私を延命措置してくれている姉御さんにも心配をかけた親にも上手くいって恩返ししたいなぁと、

 

手の届く範囲の人には笑顔でなっていてほしいしね

 

それでサッカーの勝ち負けを当てるサイトに登録して金持ちへvon voyage!!!

現状報告

現状漠然とヘルニアによって体が痛くて無職になって3年目になります。

 

辞めた当初は足底腱膜炎とヘルニアがいたいな~ってやめたんだけど

 

今現状はヘルニアで腰から下が痛いし、家族からの圧力もそれに伴う自身の内側からくる働かなくちゃも精神的に辛い。

 

10年前こうなった当初は、ある程度の(働けるだろうという)レベルに達したため今回もまた1ねんもしたらもとどおりだと高を括っていたが全く戻らず座ることも立つことも満足に寝ることも薬をのまないとできな現状です。

 

 

といっても健常者よりはつらいが障害者ではない現状、資金がないので

 

・痛みを押して働く

・ギャンブルをする

・犯罪をする

 

しかないなぁとぼんやり考えていました。